■孫 公裕
名は乾。
大学者・鄭玄に師事していたらしい。
劉備が徐州に居るときにその鄭玄の推挙で劉備の従事になった。
主に使者としての役目が多く、劉備が袁紹・劉表に身を寄せたときなど、
まず先に孫乾が使者として目通りしている。
それなりに名望もあった模様で、劉表は孫乾を劉備同様に尊重していたらしい。
入蜀後は糜竺に次ぐ待遇を受けた。
糜竺・簡雍・孫乾に対する処遇や恩賞は、文官の中で最上位で、諸葛亮らよりも上。
流浪時代に苦楽を共にした臣下であるが、
逆に言えばあれほど流浪を続けることが出来たのも、この3人の力があってのこと。
功臣・忠臣として、関・張らと並べ称するに値する。