■劉 景升
名は表。
一言で言えば孫氏の親の仇。
末路からは想像できないが、後漢末を代表する名士の一人。
彼に野心があったかどうかは見分けが難しい。
しかし、肥沃な土地の荊州を制圧したこと、張繍と組んで曹操と対立した時期もあったこと、
孫氏を包囲する外交網を持ってたこと、また、それだけの力があったことなどを考えると、
最初はかなり積極的に乱世に割り込む意思を持っていたように思われる。
中原よりは平和だったことにより多数の学者達が逃れてきて、
彼らを保護してるうちに、家臣団の考えに乗っ取られていったのだろうか。
なにより、もともと劉表自身は清流士大夫に類する人間。
急展開する中央を避けた時点で、大望を持ち続けることが不可能と決まってしまったかもしれない。
中途半端に後漢王朝に関わるとロクな目にあってない気がする。袁紹もその一部。
後継者争いでは袁紹と同じ轍を踏む。
演義では長男を立てていたように書かれているが、
実際のところ、後妻のこともあったので、もともと次男を後継者にしたかった模様。
この措置は袁紹と並び、後世まで批判されるに及ぶ。
今の時代では、どの兄弟が後を継ごうと関係ないと思うのだが、
いずれにせよ、後継者を選ぶ必要があるのなら、早めに決断しないとならない。
力を試したいのは分かるが、競わせるなどはもってのほかである。
かといって、必要以上に話から逃げるのも良くない。
どちらのパターンも例外なく禍根を呼んでいるのだから。