■呂 子明

名は蒙。

猛将から智将への鞍替えに成功したかなり珍しい武将。
「呉下の阿蒙」など、色々エピソードが多い。

13歳のときに親に内緒で叔父の山賊討伐に従っていったこともある。
もともとは勇猛・粗暴な人物である。
孫権に学問を勧められたときも、適当な言い訳で逃げようとしたが、
巧妙な説得によって猛勉強を始めるにいたる。
確かに、自分が仕えてる人間に「私は殿より忙しいですので」などと言える筈が無い。
主従関係が明確かつ強力な作用を持つ社会では、説得というのは或る意味脅迫…
しかし、それで後に関羽を討伐するほどの将にまで成長したのだから、孫権は本当に喜んだだろう。

演義で見られる数多くの死に様のうち、かなり奇怪な部類に入る最期を見せた人物。
もちろんこの話も作り物である。

正史では、関羽を倒す前から本当に体調が悪く、
関羽を倒した後、孫権が八方手を尽くしたのにもかかわらず病死。
呂蒙の治療のために、賞金までも掛けたのだが…
これからって時に死亡してしまうのは本当に無念であろう。その両者の心情は量りようがない。
呂蒙の後継が陸遜である。



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