■李 稚然
名はカク。
にんべんに「隺」をあわせた字。IMEからその字の存在が消えてしまった…
董卓子飼の武将で、董卓死後の長安の支配者。
演義では董卓死後、涼州に逃亡し、賈詡の進言で長安を急襲するが、正史ではなんと方角が正反対。
史実に沿うと、董卓が誅殺された時、李カクら主力部隊は陳留方面で戦争・略奪をしており、
訃報に直面して身の危険を感じ、軍を解散して逃亡しようとしたらしい。
それを押しとどめたのが演義と同じで賈詡である。
陳留から兵を募りつつ西進すると、たちまち10万以上の軍勢に膨れ上がったというから、
呂布の悪名もなかなかである。
そして、このことが原因で賈詡は後世で場当たり的な批判を浴びることになる。
私的には…というか、どう考えても長安を呂布・王允が支配した場合も
李カクたちが支配した場合も一緒だと思うのだが。
さておき。
長安に入った後は董卓支配時とさして変わらず。
真面目に職務を遂行する賈詡らを煙たがり、郭汜とともに好き勝手に略奪行為を繰り返した。
その様相は、「董卓が死んだら董卓が2人生まれてしまった」と長安の住民を嘆かせるほど。
しかしながら、悪行は長く続くものでもなく。
事態を憂慮した朱儁・楊彪らの経略で同僚の郭汜と数週間にわたって争い、
さらには献帝まで逃がしてしまう。最期は曹操に敗れた。