■関 雲長
名は羽。
演義ではおそらく一番プラス面の作り話が多い武将。
羅貫中は、とにかく関羽という人間の立派なイメージを、読む者に強要しているようにも見える。
元は闇の世界の人間でありながら、劉備に忠節をささげ…
それなのに正史に見えるエピソードが少ないことにかなりの疑念を抱いていたのだろう。
劉備=善玉という考えを起こすにあたって、関羽を際立たせることをかなり重要視したはずである。
正史の評として、かなり自尊心が高いといわれている。
実際、同僚との付き合いはお世辞にも良好とは言えず、
諸葛亮への疑念を始め、馬超についての手紙、黄忠と同列に任命されたときの不満吐露、
極め付けが、同じ荊州守備の糜芳・傅士仁・潘濬らとの不仲である。
諸葛亮のように、一度認めることさえすれば、十分信頼を置くことも出来るのだが、
同僚のみならず、同盟国の人士すらも相手にしなかったのは大きな失点。
上辺で取り繕うことすらも自分を損なうと考えていたのだろう。
自分の力への絶対の自信が、最後に厄介の種になってしまったのは、残念としか言いようがない。
死後、廟に祭られた。
後世では、商売の神として日本にも君臨している。
なぜに商売の神に祭られたかは、本人が一番聞きたいことだろう。
話に拠れば、商売において一番重要なのは信頼性。
関羽の義理堅さが何よりも信頼できるものなので、
お守り的な意味と、商売人の目指す本質との両方の意味で廟に祭るらしい。
三国時代の曹操も、まさかこんなことになるとは考えもしなかっただろう。