■郭 伯済
名は淮。
姜維が北伐を繰り返すようになると、鄧艾とともにその前に立ちはだかる武将である。
初めは夏侯淵の司馬。
かなり冷静で、戦術にも長けていたらしい。専ら異民族統治や対蜀戦線で頑張っている。
西方の異民族も、彼に対しては一目置いていた。
後に、王淩が司馬懿に対抗して反乱を起こして失敗したとき、
郭淮の妻が王淩の妹だったので、連座して処刑されそうになったことがある。
結局、その西方の異民族と郭淮配下の将兵が、懸命な救済活動を行ったため、
特例として赦されたらしい。彼の人望を示すエピソードである。
演義では姜維に殺されているが、正史によれば255年に病死。
215年に夏侯淵の司馬に命じられて以来、実に40年近く、西方を守り続けたことになる。
その戦歴および、郭淮に影響を与えた人物は、列挙すると実に壮観。
法正・諸葛亮らと真っ向から戦い、夏侯淵を筆頭に、張郃・司馬懿・鄧艾らを補佐。
これだけの将帥と戦地で生き抜き、その軍略等を吸収していたのであれば、
本当のところ、蜀が北伐を敢行する際に、姜維一人では、郭淮すらどうしようもなかったと思う。