■賈 文和

名は詡。

正史の伝は荀彧・荀攸と同列。
判断が非常に難しいところだが、やはり程昱・郭嘉らと並べるほうがしっくりくると思えるのは、
斐松之ならずとも思ってしまうところ。

そんなわけで、なんとなく義理に薄い感じを抱く人が多い。
実際、董卓以後、正史では実に4回も主を変えている。これも処世術の才…というのだろうか?
全て、彼自身の策略によるところが大きいように書かれているが、
計略だけでもなく、治世の能力もあったことがその過程で分かる。
思うに、有能な部下に疑いをかける上司にも問題があるし、
何より、疑わざるをを得ないほどに荒れ果てた時代だったと言うことを忘れてはならない。
曹操に仕えるようになってからは、自分からは余計な交際をせず、静かに生活したという。
経験を生かした結果と言えるだろう。

結構性根が見えにくい人物という噂もあるが、
李カク政権下での姿勢といい、後継者騒動の際の進言といい、割と真人間っぽいところもある。
もっとも、後世の史家は李カク政権下での姿勢を「罪滅ぼし」と曲解した挙句に、
罪滅ぼしにすらならないと強く批判している。
これは場当たり的中傷の最たる例であり、彼に対する斐松之らの大人気ない批判は随所に見られる。


戻る