■楽 文謙

名は進。

曹操配下の将。
張遼・徐晃らと並び賞されているが、魏公就任に前後して病死してしまうので影がやや薄い。
旗揚げ当初から働き続けた勇将としては、やや寂しい末路かもしれない。

張遼・李典・楽進はもともと仲が悪かったらしい。
それでもあえて同じ城を守らせた曹操は、やはり並々ならぬ兵法家ということになる。
孫子にも、呉越同舟の話は載っているが、
日ごろの仲がどうであれ、この3人なら協力できるというのをしっかりと見抜いていた。
合肥の戦い際には、李典の言葉に納得して、3人協力して孫権を打ち破っている。

曹操に言わせると「于禁・張遼と並んで忠義で純一。落とせない城はない」。
「三国志Ⅷ」において、攻城の戦法がただ一人「極」であるのはその記述を踏まえてのことだろう。


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