■馬 寿成

名は騰。

義兄弟に韓遂がいる。
その義兄弟と黄巾の乱以後、土地を巡って争ったり…と、よく分からないところのある人間。
羌族とのハーフでもある。
演義では劉備と共謀することもある上に、子の馬超が後に劉備に仕えるために、
基本的に蜀ファンの受けは悪くはないと思われる。

馬超・韓遂が反乱し長安を占拠したことにより、当時都にいた馬騰やその子らは皆処刑された。
……というのが、正史における記述。
演義では曹操が馬騰を呼びよせて暗殺し、それが馬超の反乱の原因になっている。
しかもその前フリで、あの曹操暗殺計画をも利用してたりする。
話を正史に戻すと、都に入ったのが208年頃。
おそらく袁氏滅亡~荊州降伏の前後だろうが、望んで入朝したというのがなかなかに興味深い。
一時期は反乱まで起こしてた人間が、何ゆえそのときになって大人しく都に入る気になったのか。
演義のような話が生まれるのは、こういった裏事情が存在するのである。

ちなみに、某漫画では、馬騰が入朝したのは「後漢王朝が甦ったから」。
とすると、生きていれば魏公推挙騒動に乗じて何らかの動きをする可能性もあっただろう。
そもそも、韓遂と組んだ反乱が何を目的としていたものなのか。
後に互いに争うようになったのはなぜか。
そして、それぞれ当時の中央はどのような様子だったのか。
そのあたりを考えてみると、涼州…しかも異民族の混血の人にしては
珍しく王朝に義理を持っていた人だった、という結論にも結びつけることが出来るかもしれない。


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