それは舞い散る桜のように感想ルーム |
≪ネタバレ シナリオ内容考察≫ |
主人公は何者か? 桜花や朝陽は? 『それは舞い散る桜のように』の最大の疑問点はやはりこれでしょう。 考える上で重要なのは、 「集合場所が丘の上」 「彼らは人間を快く思っていない」 「ゲーム冒頭のシーンでの樹に『吸い込まれる感覚』という表現」 「朝陽の『つけあがるなよ、ヒトの子が!』発言」 「エピローグ前のモノローグで、『桜花と主人公が同じ存在だった、守っていた』と語られている点」 「主人公の名前は『桜井舞人』であること」 以上を考えれば、桜の樹の精と考えるのが妥当でしょうね。 当てはめるならば、枝分かれが早い右の桜の樹が主人公と桜花。 左側の樹が朝陽といったところでしょう。 最初は『ヒトの子』発言で、主人公は樹の精と人間のハーフかなとも思ったのですが、 希望シナリオの母親の電話のやり取りを考えると違うように思います。 (可能性としてはあると思いますが) おそらく朝陽の『ヒトの子』発言は、「人間の間で暮らす舞人」のことを言っているのでしょう。 桜の樹の精なのにもかかわらず、丘という大切な場所を離れ、 人間と同じように暮らすことを指しての『ヒトの子』であると思います。 あの丘という場所が彼ら「桜の樹の精」にとって重要な場所であることは間違いないでしょう。 ここからは完全に想像の域を抜け出しませんが、舞人や桜花、朝陽らはあの丘にいる限り一つの不思議な力を持ち、 丘を離れると人間と同じような存在になってしまうのだと思います。 彼らにとってあの丘は神聖な地であり、一種の結界のような場所だと思います。 その丘を離れることは、結界を離れて加護が得られないことを意味し、何らかの不都合(一つになれない)が生じるのでしょう。 イメージとしてはうぃんどみるの『結い橋』のような結界です(プレイしてない人は是非やりましょう(^^;) 主人公の過去について 主人公と母親の関係は正直掴みかねます。分かっていることを羅列すると… 「かつて桜の樹の下にいた主人公と桜花」 「主人公は桜花を守っていた存在、桜花は主人公を慕っていた」 「主人公の母親も子ども時代に丘で遊んでいた」 「主人公は母親と会うことで、人間としての生活に希望を抱き、憧れを抱くようになった」 「その前後(?)に主人公は希望と出会い、恋心を抱きながらも別れることになった」 「母親は主人公を連れて、北海道に行くことに」 うーん、羅列しても全然分かりませんね(苦笑) 朝陽や桜花らが人間を好きでなかった理由は「裏切り」なわけですから、それを想像力で埋めてみると… 「子供の頃、桜の樹の下で遊ぶ人間の子供達。それに混じり遊ぶ桜の樹の精。 けれど人間の子供達は成長するにつれ、その場所を忘れ、新しい物に興味を抱き、 子ども達は遊ぶ約束をしていても一人また一人と離れゆく。 さらには大人になり、その場所の存在さえも忘れ、自然破壊を進めていく。 移ろいゆくヒトの心は、彼ら桜の樹に留まることは決してなかった」 …ってな、ところでしょうか(^^; あまり本編とは関係ありませんが、一般的に考えて行くとこうなると思います。 主人公は過去に希望と会って、慕い合いながらも別れてしまった経験があるようですが、 これが母親との出会いとどちらが先なのかは正直分かりません。 ですから「母親が希望になった」ということが何を意味しているのかは分かりかねます。 もしも希望との出会いが母親よりも先ならば、一人になってしまう悲しさ・孤独感からの救い、 人の中で生きることの楽しさを与えてくれたということになります。 もしも逆に希望との出会いより先に母親と会っているなら、希望の裏切りでない人間の裏切りからの救い、 もしくは同じ場所に留まり続け、TVのような傍観するだけの関わり合いのない世界への虚しさの気付き・救いとなります。 母親は希望の存在を知っていますから、普通に考えれば希望より先に会ってることになるでしょう。 (ただ主人公から話を聞いていた可能性もありますから、断定はできないし、絞りこみも本当はできない) けれど朝陽の物言いやシナリオの流れを考えれば、「母親が希望になった」ということの意味は最後に挙げた 「同じ場所に留まり続け、傍観するだけな関わり合いのない世界の虚しさへの気付き」 を意味していると私は思います。 「誰かと一緒に遊ぶ楽しさ」「一緒に遊ぶ楽しさ」「大切なものを心に抱くこと」… …これらの人の間で生きる『楽しさ』は傍観して得られるものではなく、人の間に入らなければ得られません。 主人公はその魅力を母親に教えられ、気付いたからこそ、丘を降りていったのでしょう。 …とここまで考えておきながら(爆)、母親との出会いの時期をもう一度考え直して見ます。 育ての親が母親であることは間違いないのですが、 朝陽の話の中に「主人公の母親も子ども時代に丘で遊んでいた」という証言があります。 朝陽と母親がなぜ知合いなのか? そして同じ樹の精だとしたら、どうして主人公は覚えていないのか? 朝陽の方が主人公と桜花よりも長年あの丘にいたことは間違いないでしょうから、 桜花と主人公の2人が母親の幼少時代に存在したか否かがポイントになってくるでしょう。 うーん、どうでしょうね…どちらでも取れますが、主人公の母親が植樹した樹だったらドラマチックだと思いませんか?(笑) 朝陽や桜花の姿が樹の年齢を現していると仮定するならば、桜花と主人公の樹はやはり若いことになりますから、 植樹したてであったと考える方がいいと思います(主人公と桜花の差は枝分かれの時期or丘を離れたことに由来と仮定) そうなった場合、出会いの時期を整理する上で思い出すのが8月30日のイベント。 「女のひとがいた。女のひとが笑っていた。女のひとが歌っていた。女のひとが走っていた。女のひとが…泣いていた」 「安心感と憧憬をもたらす。思慕の念、あこがれ」 この「女のひと」はED前の桜花との会話から主人公の母親ということが分かります。 ポイントは「女のひとが…泣いていた」という所。 希望シナリオを見た後だと、別れた女の子は希望となるので見逃しがちです。 主人公の記憶が混濁している可能性はありますが、 シナリオ的には「別れて記憶を失ったのは希望だけでなく、母親も同じ」だと思われます。 つまり主人公の母親は子どもの頃からあの丘を出入りしており、高校生か大人ぐらいの時に幼い桜の精の主人公と出会い、 一緒に遊んでいて、その末に悲しいこと(主人公のことを忘れる?)があったようです。 和観さんが主人公の母親のことを「子ども好き」と称しながらも、 主人公を突き放すような物言いをしているのはそこらが起因していると思われます。 わざと親密にならないように、一定以上の距離を取ろうとしているのでしょう。 それはやはり、過去に主人公のことを忘れそうになったことがあるからなのだと思います。 (となると、忘却は肉体的関係というより、心理的関係によるものと推測)<ショタは考えません(笑) こう考えて不思議に思うのは、「この後、どうやって2人は親子関係を作るようになったのか」ですね。 主人公は母親との過去を完全に忘れています。ですが、母親は覚えている・何かを知っている素振りを見せています。 おそらくこの場合はゲーム中で語られる主人公とヒロインの関係とは逆で「主人公が忘れ、母親は覚えていた」のでしょう。 これは「忘却」に関する大きなヒントですね。 「忘却するのは一方、その後に本人の気持ち次第で忘却してしまう」ということです。 主人公の母親は気持ちが強かったのでしょう。主人公に忘れられても、その思い出を忘れずに生きていたのだと思います。 …と、ここで希望を出すとうまく繋がるんですよね。 母親は主人公のことを影ながら見ていたとするならば辻褄は合うでしょう。 主人公と希望は歳が近いこともあり、2人で仲良く、希望の祖母と一緒になって遊んでいて、 いつしか幼い2人は恋愛感情を持つようになり、心理的距離が縮まったのでしょう。 その結果、桜の樹の精である主人公を丘の上に留める力が働き、 希望は夢によって不安を植えつけられ、好きだったはずの主人公のことを忘れてしまった …という流れだと思われます。 その後の展開は、それを見ていたのか、希望の祖母と知合いで事情を知っていたのか、 主人公から話を聞いたのか分かりませんが、主人公の母親が主人公の側にいることを誓い、 主人公の心の救いになったのだと思います。 母親は主人公を人間として育てるために丘を離れることを決意し、雫内に引っ越したのでしょう。 それからの関係は、くっつき過ぎず、離れ過ぎず。 電話でのやり取りでも分かるような関係になったのだと思います<小町シナリオの回想も同じでした 以上が主人公の過去と考えられます。 私自身も頭を整理しながらでしたので、分かりにくいとは思いますが、 感想の最後にもう一度まとめますから、分からなかった方はそちらをご覧ください。 シナリオ解説 不安と忘却 ゲーム本編では恋人同士になり、熱い約束を交わしたはずの主人公とヒロインが、 その翌日には何事もなかったかのように、恋人としての感情が欠落してしまったようになって別れとなります。 第1エンディング後(回想ロール)では主人公とヒロインの関係は友人・知人レベルに戻ってしまいます。 例を挙げるならば、Tacticsの名作『ONE〜輝く季節へ〜』での主人公の存在消滅がヒロインの中だけで起こる感じですね。 ヒロインだけ主人公と恋人であった記憶や感情を忘れてしまうのです。 (それは時間が経てば主人公も同様に忘れてしまうことになる?) 回想エンディング後から桜花までの話は、それ以外の人々の主人公に対する気遣いや励まし、 辛い思い出となってしまってもその時間は大切なものであることを表現した会話なのでしょう。 そして桜花との最後の会話。 桜花は誰かと一緒にいることの素晴らしさに理解を示し、主人公とヒロインとの間に「きっかけ」を産みます。 最後に記憶を取り戻した(?)ヒロインと主人公は再開しハッピーエンドへと至るのです。 これは何を意味し、何が起こっているのでしょうか? 考える手がかりとしては、 「こだまシナリオ終焉前でのこだまの心に不安がよぎる話」 「青葉シナリオ終焉前での青葉が一人ぼっちになってしまう夢を見たという話」 「小町シナリオ終焉における、『どちら様でしょうか?』発言」 「希望シナリオ終焉前における主人公の『この身が不浄なるが故』発言」…などがあります。 私の考えはこうです。 「主人公は純粋な人間ではなく、桜の樹の精という本来人とは相容れないものであるために、 その歪んだ関係を元に戻そうという自然の力が働く」のだと思います。 (伸ばしたバネが元のサイズに縮むような弾性力) 人の世界で舞人が生きるためには、他人と一定の距離を保ち、直接的交わりがないようにしなければならないようです。 それは主人公の母親の舞人に対する態度に現れている通りです。あの関係でなければ忘却となるのです。 ただもう少し踏み込んで考えれば、 「主人公をあの丘に留めるための力が働く」というのが正確でしょう。 桜の樹の精である主人公は、あの丘にいてこその存在であり、あの丘に必要な存在なのだと思います。 前述であの丘は神聖な地であり、一種の結界のような場所と書きましたが、 彼ら桜の樹の精が存在できるのは丘があってこそであり、同時に丘も彼ら桜の樹の精の存在が必要なんだと思います。 あの丘という空間を成立させるのは一方だけでなく、双方が存在して初めて成立するのでしょう。 (「結い橋」で言えば、結界によって天子が人として存在でき、結界は天子の力を吸収して力を維持する) (つまり自然の力が循環すしている。丘があるおかげで桜の樹の精が、桜の樹の精が存在することで丘が維持できる) (自然がなければ人間が存在できない。人間が自然を愛さなければ、自然も維持されないのと同じ意味です) つまり丘を存在せしめるためには、人間の破壊から身を守るために桜の樹の精である主人公が欠けてはならならず、 人間の世界へと入りこもうとする主人公を人間の世界で生きられないようにする力を働かせているのです。 で、その力は人にどのように作用するかと言えば、夢の形で現れるのだと思います。 主人公とヒロインが別れる夢を両者に見させ、お互いを不安な気持ちにさせるのです。 人間の心は脆いもの、どんなに人を信じようとしても、一つの小さな不安要素が大きな穴へと変わり、破局へと繋がります。 その小さな穴を産むのが夢であり、それを毎晩見せることで大きな穴へと広がっていくのでしょう。 一定以上の不安が募り、人間の許容度を超え、我慢し切れなくなってしまうと、 人間の防衛本能が働き、それに関する記憶そのものを封じてしまおうとします。 人間の記憶は意外にあやふやなもの。都合の悪いことは書き換えてしまうケースが多くありますからね。 これがヒロインの記憶の忘却の真相であり、主人公が過去のことを忘れてしまった理由だと思います。 つまり「夢でお互いの恋愛の不安を露呈し、莫大な不安から逃れるために忘却してしまう」、 忘却の基本システムはこうだと私は考えています。 そして桜花がどうやって主人公とヒロインの関係を取り持ったのかといえば、それは「希望」でしょうね。 夢で不安を与えたのとは逆に、希望を与えたのだと思います。 それが人間の温かい心を呼び覚まし、恋人の時の記憶を取り戻すことになったのでしょう。 ちょっとご都合主義的ですかね? まぁ、精霊みたいな存在ならば、それも可能だということで大目に見てください(笑) 「奇跡」という言葉で括るよりは納得いきますでしょう? IF 結末は必ずしも同じなのか? 「それは舞い散る桜のように」では全てのシナリオで、ヒロインの忘却という結末を迎え、 最後は桜花の「希望」の力によって、ヒロインは主人公のことを思い出してハッピーエンドを迎えます。 ただここで一つの疑問が起こります。 「嗚呼、やんぬるかな、嘆きのイカロス、報いを受けたバビロン」 「どうして人は同じ過ちを繰り返すのでしょうか?」 何も分からず、理由も知ろうとせず、同じ過ち・結末を迎えてしまった主人公。 果たして今後、主人公は同じ過ちを行わないと言えるのか? また「もし」があるとすれば、主人公はヒロインの忘却という結末を阻止することができていたのか? そんな疑問が生まれてくると思います。 これこそ「それは舞い散る桜のように」のテーマ部分であり、プレイヤーが考える部分でしょう。 私の結論としては、阻止できた&同じ過ちは繰り返さない、です。 その理由は、ゲーム中で主人公はヒロインに忘れられながらも、 ヒロインとの思い出を否定することなく、後悔することなく過ごしていたからです。 勿論、主人公一人では思い出を否定し、後悔していたことでしょう。 けれど主人公には山彦を始めとする周りの人間の励ましがありました。 それが主人公の気持ちを肯定的にし、思い出を胸に抱きながら前向きに生きていくようにしたのだと思います。 んー、理由になってるようで理由になってませんね(^^; 「忘却は夢による不安が原因」 「忘却は肉体的関係というより、心理的関係によるもの」 「忘却するのは一方、その後に本人の気持ち次第で忘却してしまう」 主人公が忘れなかったということは、関係修復の可能性を残していたことになり、 ハッピーEDではヒロインも「忘れてしまった事実」を知っています。 これは不安に打ち勝つだけの信頼と精神的強さを身につけたと言って良いでしょう。 その気持ちがあれば、不安に打ち克つこともできるでしょうし、きっと2人が離れることはないでしょうね。 まぁ、そもそも、もう主人公を人間の世界から遠ざける力は働かないと思いますけどね。 私の考えだと、「丘を存在せしめるための力」としましたが、これは人間の自然破壊から丘を守ることを意味します。 つまり人間がしっかりしてれば、桜の樹の精が人間の中で暮らそうが大丈夫ってことなんですよね。 そこで主人公の心に人間の可能性を見た、もしくは主人公の心に丘を愛してくれる人間を見出したとなれば、 主人公を丘に縛る必然性がなくなってきますからね。 最後の桜花との会話、桜花の笑顔に、私はその可能性を見出しました。 阻止できたと思う理由に関しては、「不安に勝てるだけの信頼感があるかどうか」だったでしょう。 残念なことにゲームでは「恋」で終わってしまい、どんな苦境でも不安な状況でも相手を信じる力がなかったと思います。 乗り越えられたかもしれないと思うのは、小町でしょうか。 どんなに突き放されても主人公に付きまとっていた小町ならば超えられたかもしれませんね。 (ただ孤独や主人公に拒絶されることを恐れていた小町ですから、超えられなかったのでしょう) もし主人公がもう一歩、相手のことを受け入れ、信頼関係を深く築いていたのならば、 他の結末もあったかもしれません。 シナリオの意味とは? テーマは? え〜、この私のシナリオ読み込みの流れで考えていくと、何を言いたいかと言えば、「恋」と「愛」の違いですね。 一概に言えないですし、異論もあるでしょうが、「恋」と「愛」の違いは「信頼」にあると思ってます。 私は恋愛否定組ですから(笑)、恋はやはり魔法のようなものだと考えてしまいますね。 恋は自分で膨らませ、自分で思い込み、自分で走っていくところがあります。 けれど愛は相手を見なければ、相手を信じなければ、実践することはできません。 相手を信じ、相手のために何かしたいと思うこと…それが愛に繋がるのではないでしょうか? そんなわけで私は愛礼賛組です(笑) 「恋」+「信頼」=「愛」、この過程を描いたのが「それ散る」のシナリオだと私は思いました。 もう一つ(というか、こちらが本論だと思います)の重要なテーマは、 「他人を・悲しみを拒絶することの易しさ、受け入れることへの難しさ」でしょう。 終焉以後のシナリオ展開と上のシナリオ考察を考えてみてください。 主人公はクリスマスイブの日に、悲しみを受けきれず一人悶々としていました。 そこに山彦が来てくれて悲しみを分かち合ってくれたり、その後も周囲の人が温かい励ましをくれたのです。 黙ってただ受け入れてくれること、そこには悪意も損得も欺瞞もありません。 そこには朝陽が人間に失望していたものがないんです。 それは「愛」なのかもしれませんね。「恋愛」ではない「愛」です。 周囲の人の「愛」が舞人を勇気づけ、彼は悲しみを受け入れられるようになったのでしょう。 悲しい時は一人になりがちで、自分だけが悲しいと思ってしまいます。 それを癒してくれるもの、周囲の人の気遣い…「愛」でしょう。 そういった大切なものを見落とさないで欲しいと訴えたかったのかもしれませんね。 ただこのゲームはプレイヤーによって色々な見方ができると思います。 恋愛至上主義者から見れば、恋の素晴らしさをテーマにしているように見えますし、 哲学的に考える人には、自分と他者との付き合い方をテーマにしているようにも見えます。 私みたいな捻くれた人間が見れば、アンチギャルゲーマー最終決戦兵器にも見えますしね(笑) ん? この部分は面白いのでもう少し触れておきましょうか(爆) いくつかレビューサイトを回ってみましたが、シナリオの評価として共通しているのは、 「序盤はテンポ良く会話が楽しい」 「中盤のヒロイン固有イベントが少なく、恋人になるまでが分かりづらい」 「終盤のシナリオが理解しづらい。展開が速い。ヒロインの心理描写がない」 …となってます。まぁ、納得ですね。 けど私なんかは「別にライターが描きたくなかったなら、いいじゃん」です(笑)<シナリオ分量もあったでしょうが(^^; 私は敢えて問いてみたい。 「シナリオライターが何を描きたかったんでしょうか?」 「ストーリー全部を描く必要なんてあるんですかね?」 プレイヤーに見せたいものがはっきりしていれば、ストーリーなんてオマケと言ってもいいと思ってます。 数年前に新世紀エヴァンゲリオンというアニメがありましたが、TV版25・26話はよくぞやってくれた!というもんです。 (当時はストーリーが完結していないと非難轟々。作り手のメッセージを見ようとしなかった人も多かった) 別に作品はストーリーが完結しなくてもいいんですよ。それを見た人が頭で描くことも大切ですしね。 作品が作品であるためには、送り手のメッセージが込められていることが重要だと私は考えています。 ですから、「萌え」中心で「物語」という世界に浸ることでしかゲームができない(否定的に言えばゲーム世界に逃げている) ギャルゲーマーへの批判でもあるんじゃないでしょうかね? BadENDでもないのに、必ずヒロインと一度別れてしまうシナリオといい、そんな心地よい悪意を感じます。 「別れない結末」も作れたでしょうが、作らなかったんでしょう。 一度「散る」ことが必要だったと思います。 「散る」ことを恐れ、悲しみを恐れ、孤独を恐れて生きるよりも、 それらを受け止めて、それを乗り越えて生きていくことが大切であると シナリオライターはプレイヤーに伝えたかったのだと思います。 そう考えると、和人や青葉シナリオの「芹沢かぐら」、 つばさシナリオの「郁原郁美」はライターの理想キャラだったのかもしれません。 悲しみを強さに変えるそんな姿が、美しく見えるようなシナリオでした。 …かぐらシナリオがなかったのもそのためだったかもしれませんね。 おそらく印象度を高くするためにも、悲劇のヒロインでなければならなかったのでしょう。 私の感想としてはこんな所です。 深く考えて見ないとシナリオの意味は見えてきません。 単純に感じたままを大切にするのもいいですが、 じっくりと「バビロンが受けた報い」の意味を考えるのも大切じゃないでしょうかね。 そういう意味ではとても面白いシナリオだったと思います。 |
≪ネタバレ感想 追加分≫ |
桜花にとっての舞人、桜花の存在の意味するもの これを語るの忘れてました(^^; 桜花が最後の会話において、嘘をついて「一人よりも二人でいることの楽しさ」を認めたがらなかったのは、 桜花自身は舞人と一緒にいたかったからだと思いますね。 桜花は舞人のことが好きだったんでしょう。桜花にとって舞人は「希望」だったのでしょうね。 一度自分の元を離れていった舞人であっても、それ以上に慕う気持ちが強かったようです。 離れていって欲しくなかったから、嘘をついて、理解を示そうとしなかった… …いやー、こう考えると、桜花って滅茶苦茶可愛いっすね(笑) いじらしくて最高です〜 桜花万歳!(爆) 桜花の存在はシナリオの中でどういう意味を持っていたのでしょうか? 私は影の主人公はこの桜花であったと思います。 彼女の存在意義は主人公と同じであると言えます。 舞人の弱い部分を体現した存在とでも言うのでしょうか。 舞人がつばさであるならば、桜花はイクイクに当たるでしょう。そんな意味関係にあるように思います。 ですから最後の桜花との場面、あれは一種の心象風景とも言える場面だと思います。 舞人の成長・決意を現したものだと私は受け取っています。 形的に桜花が奇跡を起こしたように思えますが、 ひょっとしたら舞人自身の意思が試練に打ち勝ったのかもしれませんね。 朝陽の賭けの相手は誰? 私が一番分からないのがコレです。 朝陽と舞人の2人の会話の時にこの話が出てきます。 「朝陽リーグ桜坂カップ」、うーん、賭けをした人間とは誰なんでしょうかね? 無難に考えれば、「主人公の母親」でしょうか。 あと関係してそうな人間を探せば、「希望の祖母」がいます。 おそらく「希望」と名前をつけたのは、祖母でしょうし。 丘を出入りしていたようですし、過去に何か関係していたと考えられますしね。 そう考えて見ると、面白くないですかね?(^^; 終焉以降のシナリオ展開に関する疑問その1 「舞人はもっと自分で道を切り開くべきだったのではないか?」 ストーリーを終えて思う不満はこれでしょう。 上の方でも語っていますが、疑問に思うことでしょうから、改めて説明したいと思います。 たぶん舞人自身がヒロインに思い出してもらうように働きかけ、 桜花の力によらず自身で何とかした方がユーザーは満足いったことでしょう。 ただシナリオが伝えたかったのはそんなことではなかったと思います。 舞人は強い人間ではありません。等身大のごく普通の臆病な人間です。 そんな彼が失意の中・悲しみの中でどう立ち直るか…それを描きたかったのだと思います。 「和人」の過去だってそうです。 和人の持っているものは悲しみを乗り越えたものの強さ、悲しみを受け入れたものの強さです。 その強さを得る過程を描きたかったのではないでしょうか? クリスマスイブの山彦の励まし、それ以降の様々な人の優しさ・ありがたさを描きたかったのでしょう。 黙ってたた受け入れてくれること、そこには悪意も損得も欺瞞もありません。 そこには朝陽が人間に失望していたものがないんです。 それは「愛」なのかもしれません。「恋愛」ではない「愛」です。 周囲の人の「愛」が舞人を勇気づけ、彼は悲しみを受け入れられるようになったのです。 悲しい時は一人になりがち、自分だけが悲しいと思ってしまいます<和人やイクイク それを癒してくれるもの、周囲の人の気遣い「愛」なのでしょう。 そういった大切なものを見落とさないで欲しいと訴えたかったこそ、その手法を取らなかったのではないでしょうか? 終焉以降のシナリオ展開に関する疑問その2 「ヒロインの感情描写の少なさについて」 私もこれは考え中なので結論は言えません。 自分の中でその通りだと思っている面があるのと同時に、 何か意味があるのかもしれないと考えている面もあります。 一つ考えられることに、希望と小町エンドでそれを挟んだ場合の不恰好さが挙げられます。 このゲームは「悲しみを受け入れたことの強さ」を描いています。 希望エンドでは辛い思い出であったはずの桜の樹の下での再会、 小町エンドでは小町に記憶がないのを知っていながら誕生日にティーポットを贈っています。 もしもこの場面でヒロインへのアプローチがあったら…そう考えると感慨も何もありません。 悲しみを乗り越えた姿があるからこそ、辛い思い出もあった丘に寄ることができた、 悲しみを乗り越えた姿があるからこそ、小町に感謝されなくても物が送れたんだと思います。 もう一つの考えは純粋な悪意。 シナリオライターのギャルゲーマーへの挑戦でしょうか。 思い入れが出てきたヒロインを終盤で敢えて使わないことを試みたかったのかもしれません。 キャラ萌えで物語を見るのではなく、シナリオを通して見てくれという、そんな痛烈な皮肉だったのかもしれません。 実際、私は終盤でのヒロインの活躍の少なさに疑問を持ち、 何故だろうかと考えてシナリオを見ることを余儀なくされました。 おそらくそういう意味も込められていたのではないかと思っています。 サブキャラの存在の重要性 和人をはじめとするサブキャラは主人公とヒロインの代弁者であるかもしれません。 彼ら・彼女らの存在が過去談やシナリオを分かりやすくしていたと思いますし、 その理想の形をも現していたと思います。 サブキャラの感情表現は終盤の主人公やヒロインの感情に似ています。 そうやって「リフレイン」させることで、より想像力を働かせ、より深い読み込みをさせていたのでしょう。 どうしてそういう回りくどい手法を取ったのかは分かりませんが、「他人を見ろ」ということなのでしょうかね? 「愚か者が! 目を見開け!」(BY朝陽)なんちって(笑) けど和人達は欺瞞に満ちてないですよね…やはり一つの理想系を現しているのでしょう。 シナリオテーマ「恋愛」とは? 主人公である桜井舞人や八重樫つばさ、相楽山彦など形は違えど「恋」ができない人間が登場します。 舞人とつばさは恋を拒絶し、「友達止まり」で終わらせようと努めています。 山彦は逆に異性の中に飛び込みながらも、心の底は許さない「遊びの関係」のようになっています。 恋のできない現代人みたいな風潮がありますが、その2つを描いたのがこのキャラクター達だったのでしょう。 恋は何から始まるのかは分かりません。 何気ない仕草が唐突に良いものだと思えたり、相手のことが急に尊敬できるように見えたり。 このゲームでも舞人やヒロインが「相手を好きになるきっかけ」は様々。 それは「恋」、理屈じゃないです。好きになるきっかけはあっても、理由はないのでしょう。 ただつばさシナリオで語られるように「恋は魔法」です。必ず醒める時がやってきます。 このゲームでも必ず「恋の魔法が解ける瞬間」がやってくるのです<終焉 ならば「恋」を否定できるかといえば、否でしょう。 裏切り・欺瞞・嘘・疑惑・妬み・嫉み…そんな人の負の感情を超えるもの、それが「愛」。 紆余曲折はあっても、少しずつ相手を「信頼」していけば、 自分のことだけでなく、相手のことを思いやれるようになっていきます。 自己中心的な「恋」に「信頼」が加わることで、「恋愛」という一つの愛の形が生まれるのだと思います。 ではその「信頼」をいかに構築するか? それは「受け入れる」ことなのでしょう。それは恋の相手だけではありません。 周囲の人間・自分の置かれている環境・自分の悲しみと不安・他人の悲しみと不安… これらを受け入れることが、「信頼」の構築に必要なんだよと、このゲームは言いたかったのだと思います。 「恋愛」、それは「愛」の一つの形です。 人間の狭い了見を超えた大いなる可能性、それが「愛」でしょう。 「恋愛」を否定せず、人を信頼することを否定せず、悲しみを受け入れることを恐れずに生きたいものです。 それは次に来る悲しみや苦悩を超える力になりますし、かけがえのないものを守る力になります。 「恋」では収まらない、そんな素敵な「恋愛」をしてみたいですね。 |
≪舞人の過去まとめ≫ |
舞人の母親は子どもの頃から丘の上で遊んでいた。 この頃に朝陽の桜の樹の隣に、もう一つの桜の樹(舞人)が生まれた。 そのもう一つ桜の樹(舞人)は枝分かれをし、そこから桜花が生まれた。 舞人はそんな桜花を守り、丘の上で過ごしていた。 舞人は母親と触れ合うことで、「希望」を見出した。 心理関係が近くなった舞人と母親は別れることに。 舞人が母親のことを忘れ、母親は舞人のことを忘れなかった。 舞人は希望と出会い、希望の祖母と一緒に遊んで過ごした。 同じく距離が近くなった舞人と希望は別れることに。 希望が先に舞人のことを忘れ、舞人もその悲しさを封じるために忘れてしまった。 悲しむ舞人に母親が手を差し伸べ、人間の中で住んでみることに。 引越し前日にかぐらと出会う。 舞人と母親は雫内で暮らすことに。小町と出会う。 舞人は桜坂学園に入学し、丘のある街に戻ってくる。 |
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