ナツメグ ネタバレ感想ルーム


(はじめに 『ナツメグ』に関して)
『ナツメグ』のネタバレ感想といっても、
普通の学園モノですから、本来的にはそう語ることもないのですが、
ほとりシナリオを始めとして若干テーマに関して掴み辛い所があるので、
それを解説するためにも、このネタバレ感想を書くことにしました。
(基本的にはブログで書いたものの再掲載。一部加筆修正されています)

まず最初に『ナツメグ』をプレイする上で重要な点を先に整理しておくと、
「思い出を巡る物語」だということを忘れてはなりません。
ともすれば、ゲーム前半のRES(ランダムイベントシステム)によるドタバタコメディや、
個性的なキャラクターを中心としたストーリーが進展していくことで、
主人公モテモテのハーレムチックな萌えゲー的雰囲気が漂い、
そのまま恋愛らぶらぶでH、はい終了という流れのようにも感じられるのですが、
そういうゲームではないことをまず抑えておかなければなりません。

プロローグ部分での転入直後のひねくれた主人公、
由佳子の転校を知った直後に塞ぎこみそうになる主人公といったように、
基本的に主人公は消極的でネガティブ、
率先しているように見えて受け身で生きている人間です。
主人公像を誤解すると、全く別のゲームのように感じてしまいますから注意です。
このゲームは、あらゆる物事に対して「関係維持」を望む主人公が、
「思い出」を巡って成長していく青春ストーリー
です。
恋愛・Hシーンが中心に来るのではなく、思い出が中心に来ることを忘れてはなりません。
…といっても、誤解しますよねぇ(苦笑) RESの軽薄な展開を目にすると(笑)
まぁ、それらはほとりシナリオが打ち壊してくれるわけですが…(^^;
シナリオを考える上で重要な点ですから、最初に強調しておこうと思います。



(その1 由佳子シナリオに関して)
『ナツメグ』のメインヒロインである由佳子シナリオは、オーソドックスなものでした。
別れを前にして似たもの同士の2人は、互いに関係の変化を恐れてすれ違い合ってしまうも、
シゲオや実梨、円らの助力を得た主人公が一歩を踏み出して、結ばれるという話。
テーマ的には、「思い出」は時間による積み重ねよりも、
それがどれだけ濃密で、印象深い出来事であったかの方が重要、という内容でした。

由佳子シナリオの見せ場というと、
校門前で由佳子の手を引いて岩手へと行くシーン(BGM:その一歩を)と、
ラストの新幹線ホームでの別れのシーンでしょう。
自分は最初に由佳子シナリオをプレイしたので、1回目プレイ時には感じなかったことなんですが、
実は主人公から積極的に動いているのって事実上、このイベントだけなんですよね(苦笑)
すげー受け身っぷり(^^;
それだけに「その一歩を」踏み出したことは大きな意味があったように思います。
自分が伝えなければならない自分の「思い出」、
由佳子に伝えなければならない由佳子に対する「思い出」…
なかなか自分にとって嫌な過去の思い出は人に伝えにくいものですが、
その一歩を踏み出した主人公に純粋な賞賛の意を送りたいです。
一見すると何ともないイベントですが、シナリオ全体からすると重要なイベントの一つかも。

ラストの別れシーンはお決まりのパターン(シゲオ談)…をやることなく、普通に別れ。
なんか思ったより淡々としていたなという印象を受けました。
他のシナリオではこの場面がないだけに、もう少し感動的にと思わなくもし。
 (というか、他シナリオでもこの場面はやって欲しかった気も。部活の主役は由佳子ですし)
ナツメグは敢えて舞台を都会にしたことに味があるわけですが、
こういう場面はやっぱり田舎の方が絵になるんですよね。
都会の淡々としたところを覆すようなものも見たかった気がします。
しかし部活の再入部は他のシナリオをプレイしていると複雑な想いで見ちゃいますなぁ(苦笑)
セリスやほとりはどうなってるんだろうか、という純粋な疑問が。

不満点として挙げられるのは、2人の過去の思い出がプレイヤーにとって分かり辛かったことでしょう。
主人公の転入直後の態度は由佳子シナリオをプレイしている限りでは分かりません。
主人公の塞ぎこむ理由が分からないものだから、由佳子にどれだけ感謝しているかも想像できない。
その分だけ由佳子に対する愛着・愛情も湧いてこない、と困った連鎖反応が起きてしまいます。
主人公の塞ぎこむ理由は、ほとりシナリオをプレイすれば間接的に、なんとなく分かるのですが、
由佳子シナリオにおいてはキーポイントの一つなだけに、ある程度の説明が欲しかったところ。
由佳子の過去に関しても然り。
どういった気持ちで主人公の世話を焼こうと思ったのかは明確には分かりません。
2人を繋ぐきっかけとなった「思い出」だっただけに、
2人がそのことを今現在どう思っていたかは描いておいて欲しかったように思います。
だからなのか、由佳子シナリオはイベントが淡々としているように感じちゃうんですよね。
2人を繋ぐ過去の「思い出」が十分にカバーされていたなかったのは、致命的なミスだったと感じます。



(その2 円シナリオに関して)
円シナリオもオーソドックスなものでした。
一言で言えば、義姉シナリオ。
主人公は関係が完全に壊れる怖さから現状維持を望むも、
円がその一歩を暴走気味に飛び越えてしまうも、
最後は由佳子のはからいもあって、2人が歩み寄ってめでたしという話。
テーマ的には、「思い出」がないと思い込んで縛られている由佳子の逆で、
幼い頃の「思い出」に縛られるあまりに身動きが取れなくなった2人が、
どうやって新しいスタートを切るのか、が描かれていました。

見せ場は何といっても、由佳子と偽っての主人公との初めてのH。
いきなり高が外れてしまった円の姿には驚かされました。
由佳子はあんなに胸が大きくは…とプレイヤー全員が思ったに違いない(笑)
 (由佳子も大人しそうな顔して、大きめですけど)
ラスト前にある円のモノローグ、由佳子も汚した云々はイベント直後でも良かったかも。
しばらく言及がなされなかったので、そのまま流してしまうのかと思ったぐらいですし。
ちょっと遅かった印象が無きにしも非ず。
そこが円シナリオの不満点でしょうか。

「思い出」という意味では、主人公と円の思い出がほとんど描かれなかったのが残念。
意味深な伏線になりそうだった七夕イベントはすぐに拾っちゃいましたし。
シナリオ的にはさほど大きな意味を持っていなかったのは残念でした。
また、2人の重要な「思い出」であっただろう円の引っ越しや、
2人が再会したシーン等の言及がほとんどされていなかったのも不満点の一つ。
どうも由佳子といい、円といい過去の思い出の伏線が拾われてないんですよねぇ…
主人公と2人との関係を語る上では必須の事柄でしょうに…
そこがナツメグのシナリオを弱くしてしまっている理由のように思います。

余談気味ですが、円シナリオにおける由佳子は異常に可愛いです。
風邪で寝込んでるシーンが凄くイイ。思わずそのままベッドへ(爆)
それは冗談としても、由佳子シナリオにおいても、他のシナリオにおいても、
由佳子が自分の弱さを他人に見せることはほとんどありません。
ほとんどのシーンが控え目な優等生、
立ち絵の印象や夏野こおりさんの声からすれば、
守ってあげたくなるようなキャラのように思えるんですけど…
なかなかそういうシーンがない(^^;
その唯一とも言えるシーンがこの風邪イベント。
由佳子の弱さが見れるとまでは言いませんが、
由佳子を守ってあげたくなるような気持ちにさせるナイスイベントでした。



(その3 セリスシナリオに関して)
セリスシナリオは、
「稲はい〜ね〜」を主人公に聞かれたのをきっかけに部活に入ったお嬢様が、
イギリスへの転校の話を聞かされたことを機に主人公の隣の部屋へと家出、
主人公とらぶらぶな半同棲生活を送るものの、最後は父親のこと、自分のことを考え、
本当の巣立ちを迎えるために主人公の元を離れてイギリスへと旅立つ、というお話。
テーマとしては「別れ」。
セリスは新参者で、キーとなる主人公との「思い出」は希薄なこともあって、
距離を限りなくゼロにすることでそれをカバーしようとしています。
それはほとりの場合においても同様です。
距離的にも一番近かったはずの由佳子において、半同棲的な生活がなかったことからも、
本ゲームでは「思い出」が優先されていて、
それをカバーする方法として同棲が用いられていることが分かります。
より密着した時間を作ることによって、より密な思い出を作ろうとしていたのかもしれません。

このシナリオの特徴はセリスのモノローグが多かったことですよね。
その理由は簡単、セリスと実梨のシナリオに関してはヒロインが主役だからです。
あくまで男主人公(渡部敦志)は引き立て役に過ぎません。
セリスシナリオの場合は、セリスを見守るお兄さん的存在のように描かれており、
実梨シナリオの場合では、由佳子と実梨の間で翻弄される傍観者的存在に描かれています。
最初に「主人公の成長ストーリー」と書きましたが、
セリス・実梨シナリオの場合のみ、「ヒロインの成長ストーリー」であると言えます。

そういう観点でシナリオを見つめた時、
セリスシナリオの見せ場となるのはやはり彼女の決断に至るまでの過程でしょう。
父親への直談判、執事の山本から聞かされるイギリス留学の真意、
由佳子との最後の夜の会話、そして決断の時…
セリスの迷う様が上手く描写されていて、
予想される別れにプレイヤー・男主人公は切ない気持ちにさせられます。
別れを前提としているナツメグのストーリーなのですが、
由佳子シナリオを始めとして、大半のシナリオは意外なほど別れがあっさりしています。
その中で、セリスのシナリオは上手く別れに至る過程、
そして迎える別れ・再会が終盤にかけてじっくりと、綺麗に描写されていました。
まぁ、「稲はい〜ね〜」は余計だったと思いますが(笑)

セリスが別れを選んだことに関しては、良かったと思います。
セリス自身が由佳子との会話で言っているように、そんなに強くないタイプですから、
男主人公に完全に依存してしまう・溺れてしまう危険性が高かったでしょう。
そこを立ち止まって考え直すことができたのは、セリスの賢さだと感じました。
自分はハッピーエンド好きなので、
一時的にせよ別れを決断するシナリオはあまり好きではないのですが、
セリスに関してはその過程がしっかりと描かれていたこともあって、自然に受け入れられました。
テーマ的にはやや物足りない所もありましたが、
『思い出』を抱いて前を向いて生きていこうとする由佳子の姿勢など、
主人公達の理想系の一つが描かれていたように感じられますし、
ナツメグのシナリオの中では一番バランスが取れていたように思います。

まぁ、セリスは本編は良かったんですが… なんですか、あのオマケHは(^^;
もっと弄らせろよ、縛らせろよ、ムチで叩かせろよ、ロウソクを垂らさせろよ(爆)
後半のは冗談としても、妄想だけで終了というのはどうにもかんにも…
オマケHが開放されて喜んだのも束の間、あっという間の終了。すげー悲しかったっす(涙)
これなら磯野まゆかのオマケHでも入れてくれておいた方が(^^;



(その4 実梨シナリオに関して)
実梨シナリオは不人気を逆手に取った展開でした(^^;
実梨は以前から主人公に惹かれていたものの、
親友の由佳子との関係や女らしさに自信が持てていなかったことから告白できなかったが、
お酒を飲んだ衝動で告白やら嫉妬やら胸のうち全てをぶちかましてしまったことで事態は急展開、
由佳子との恋の三角関係に発展するも空回りの連続で…というコメディチックな話。
このシナリオはセリスの所でも書いたように、実梨が主役であり、男主人公は傍観者です。
鍵となる「思い出」も実梨と由佳子にまつわるもの、白い花になっています。
テーマ的にはそれほど重要な要素はありませんでしたが、とにかく面白い話でしたね(^^;

見せ場は何といっても、個別シナリオ直後のお泊り会イベントでの実梨の暴露でしょう(笑)
由佳子との三角関係は予想されていましたが、こういう手で来るとは思いませんでした。
良い意味で、いきなり雰囲気ぶち壊しでした(笑)
ある意味、キャラが不人気だったからこそ、思い切った展開ができたというか…
良い子が基本の美少女ゲームの中で、実梨は極めて人間臭く描かれていて、
自分に自信が持てずに泣いたり、由佳子を始めとする他のヒロインに嫉妬したりする姿は、
実梨の純粋さを表していて、非常にかわいらしかったです。
共通ルートではツンデレ1号と言われてましたが、全然ツンデレじゃありませんでした。
個別シナリオでは常にデレてたか泣いていたかの印象しかないです(笑)
なかなかにユニークなシナリオで、楽しませてもらいました^-^;

それにしてもこのシナリオの由佳子は、みずいろの雪希っぽい(笑)
他のシナリオでは優等生的存在の由佳子ですが、
実梨シナリオでは実梨同様に人間臭い描かれ方をしていました。
遊園地イベントでの空回りっぷりが素敵。
最後の手紙でキスしたことを暴露する辺りは可愛い仕返しっすね〜…犯っとけば修羅場ったのに(爆)
この「裏切り者っ!」と言われて蹴りで即死、Badエンドな展開を期待した自分がいたり(苦笑)
少し砕けすぎな感もありますが、これぐらい人間臭い方がキャラに厚みが出て面白いと思います。
そういう意味では、一番ねこねこらしいシナリオであったのかもしれませんね。



(その5 ほとりシナリオに関して)
ほとりシナリオは、たぶん、こんな内容だった気がする…かもしんない。

ある日、主人公・渡部敦志は非現実的な光景を目にする。
夜、屋上で、青く白く光ながら、ゆっくりと歩くほとり。
いつもの幼さは全く見られず、神秘的な雰囲気を醸し出していた。
しかしすぐにほとりはいつもと変わらない人懐っこい笑みに戻ったことで、
主人公はそれを目の錯覚だと思い、深く考えないようにしていた…
…だが、この出来事が主人公の運命を一変させてしまう!
始まりはシゲオの一言だった。
 「ほとりちゃんって、ありゃ何者だ?」
ほとりと同じ1年生に聞いても、誰も野島ほとりという人物を知らないと言う。
その時は一笑に付す主人公だったが、屋上の出来事が気になっていたこともあって、
姉のような存在のまどかに対して、ほとりの交友関係の調査を依頼する…
…しかしその答えが得られることは二度となかった…
まどかを諦め、シゲオに相談しに行く主人公。だが、時既に遅し、シゲオはもう…
混乱する主人公、彼はすがるような想いで職員室の名簿を漁る!
 「えっと、1年…1年…」「…あれ?」
めくれない、めくれないのだ!
3年と2年のページは確かにある。ページが欠損している風でもない。
1年のページだけが見ることができない。
次のページにあるはずなのに! 次のページにあるはずなのに! 何でめくれないんだ!
さらに混乱する主人公。野島ほとりとは一体、何者だというんだ!? 
…夕日に照らされる夏の廊下、そこに現れる一つの影…
 「先輩、こんにちはー」
彼女はそこにいた。いつもの人懐っこい笑みを浮かべて。
「ダメですよ、先輩。レベル10ですよ」
それはいつかの帰り道にほとりの家を聞こうとした時に言われた言葉、
その時はシゲオが10段階のレベル9だとほとりが言っていた…
思い出すんだ! あの時の彼女の言葉を!
 「色んな意味で油断なりませんねー、シゲオ先輩は」
…まさか、まさか…そういうことなのか、ほとり…
背筋にザッと寒いものが走る!
 「どうしても知りたいんだったら、今日の夜、先輩一人で部室に来てください」
彼女はそう言い残し、沈みゆく夕陽に照らされた校舎を後にするのであった…

…ほとりの魔の手が迫る…!
 「百円と勇気があれば、人を殺せるんです。びっくりしました」
ほとりは、そう淡々と、あくまで淡々と、告げる…!
…ほとりの魔の手が迫る…!
 「退治です…徹底的に退治ですよ…フッフ」
そう言って、白い粉をばらまくほとり。
その粉をふりかけられたモノ達は体中の水分を抜かれ、息も絶え絶えの状態になってしまった。
 「さ、殲滅殲滅♪」
そんな光景を目にしても、嬉々として粉をばらまき続けるほとり。
老若男女問わず、目に映るもの全てが彼女の餌食となっていってしまった!!
…ほとりの魔の手が迫る…!!
 「頭蓋骨って固いんですね。びっくりしちゃいました。
 お母さんって心も頭も石頭だったんですね」
ほとりは、あはははは、と笑う…!
…ほとりの魔の手が迫る…!!
 「パリ、ボリ、パリ、ボリ、パリ、ボリ…」
ほとりが持ってきたと思われるモノ、
何か固くてデカイ手ごたえのしたモノを噛んだ瞬間、嫌に歯ごたえのする音が部室の中に響き渡った。
 「先輩、大丈夫です。…も料理すれば食べられるらしいですよ」
吐き気を催しつつも、主人公はそれを無理矢理食べさせられてしまうのだった!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!
 「果物ナイフで胸を3箇所。それから首。最後に頭を刺したら、ナイフが曲がっちゃいました」
ほとりは、嬉しそうに、そう言う…!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!
 「せいやぁーーッ!」「わたわたわたあたたたーーっ!」
気合一閃、目に見えないくらい高速で動くほとりの腕。
確実に獲物を捕らえていくその姿は、まさに狩猟者のようであった!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!!
 「シゲオ先輩がだらしないから、私が…てあげようと思ったんです」
ほとりは、自慢げに、胸を張る…!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!!
 「ふぇ〜、シゲオ先輩だらけですね〜」
夏の夜空がシゲオに染まる!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!!!
 「慕っている先輩を殺したら、いろいろわかりそうで…」
ほとりは、そう背後から、声をかける…!
…ほとりの魔の手が迫る…!!!!!
 「ほとりちゃんっていい子だよね」
由佳子も、実梨も、みんな口を揃えてそう言っていた。ホントウニソウナノカ?
…ほとりの魔の手が迫る…!!!!!!
 「先輩も死にます?」
の、野島ほとり…恐ろしい子…っ!

確かそんなストーリーだったような…
まぁ、一部順序が逆だったり、記憶があやふやだったりしているので、自信はないんですけど…
…あー、すいません。謝るから許してください(爆)
嘘です、ここまで長ったらしく書いて嘘です。
…って、わけでもないんですけどね。
ほとりシナリオ前半はここまで行かないものの、ミステリー風味になっています。
そしてほとりシナリオ後半は消えゆくほとりとの同棲ストーリーとなり、
ほとりシナリオの中核とも言えるエピローグへと話は流れていきます。


ほとりシナリオ本編は良い出来だったと思いますが、
同種のシナリオに比べると、若干弱かった感じはします。
みずいろ・日和シナリオ、Kanon・真琴シナリオ、SNOW・桜花シナリオ等々、
似たような設定を持つそれらのシナリオと比べると、やや落ちるといった印象は否めません。
それはボリューム不足は勿論のこと、
消失を知った主人公がそれに対して足掻けなかったことが大きかったように思います。
ほとりの消失の事実を知っているのは、最後まで主人公一人のみ。
一人で問題を抱え込み、どうすることもできないまま別れを迎えてしまったのには悔いが残ります。
仲間がいるのですから、もっと頼っても良かったのでは?と思います。
部活の仲間もほとりの記憶を持っていれば、
6人で思い出を共有化していれば、
主人公は自己喪失せずに生きていけたのかもしれません。
ほとりシナリオエピローグ前半は、ナツメグの存在自体を否定しかねない展開にもなりますし、
「思い出の共有の大切さ」を伝える別の展開があっても良かったのではと思います。
今回のほとりシナリオをトゥルーエンドとして、
別のハッピーエンド的な展開もあっても良かったのではないでしょうか。
(ハッピーといっても、ほとりが残るとか単純な流れではなく)
とはいえ、今回のほとりシナリオの本旨からすれば除外してよい要素ではあるでしょう。
どちらかと言えば、「敢えてそうしなかった」ようにも思えます。
大事なエピローグ前半と後半の対比関係の構成が成り立たなくなってしまいますし、
それ以上に、仮にトゥルー以外にハッピーエンドを用意していた場合、
今回のトゥルーエンドはバッドエンド扱いをされてしまい、
結果としてあまり印象に残らなくなっていたかもしれません。
今回のエンディングしかなかったからこそ、プレイヤーの心を深くえぐるものになったのだと思います。
そう考えると、不満なようで満足という複雑な気持ちにさせられます(^^;
いずれにしても言えるのは、ほとりシナリオは本編が主役なのではなく、
エピローグが主役だと言うことです。
これが今までの同種のシナリオにはなかった点ですよね。
非常に面白い試みだったと思います。
まぁ、もしコンシューマ移植とかされるようなら、
ほとりハッピーエンドとかも欲しいのが正直な気持ちですけどね(^^;


最後の再会に関しては… 正直、難しいところですね。
上で書いたようなハッピーエンドがあったとすれば、迷わず再会させないんですが。
シナリオの主旨としてもそれが適切でしょうし。
だけど再会しないまま終わらせてしまうと、主人公があんまりだとも思えるわけで…
そう考えると再会できて良かったねと思えた方がハッピーっぽくて綺麗な終わり方になりますし…
シナリオテーマからすれば、再会する必要はない。
けれどストーリーからすれば、再会させてあげたい… んー、難しいところです。
まぁ、さわやかに終われましたし、結果的には再会させて良かったんじゃないでしょうかね。



(その6 ほとりシナリオエピローグから考える『ナツメグ』のテーマ)
ほとりシナリオエピローグをプレイして、「言いようのない空虚さ」を私は感じました。
それは言わば、「現実」とも言えるような感覚で、
プレイ時にはそれが何なのかよく分かりませんでした。

そこで「言いようのない空虚さ」が何なのかを考えてみますと…
…それは祭りの終わりの感覚、非日常から日常への回帰、落日…
さらに言うと…友人関係の変化、友達以上恋人未満の関係の終焉、
輝かしい日への哀愁、そんな変化を認めることのできない姿…
例えるならそれは、輝かしい日々を過ごしたヒーローがくたびれたサラリーマンとなり、
日中一人公園でブランコに乗っているような光景…
例えるならそれは、超一流だったプロ野球選手が怪我をきっかけにレギュラーを外れ、
いつしか年齢を理由に2軍暮らしが続くような光景…
人はそれを「落ちぶれた」と称するのかもしれません(これに関しては一部後述)。
所謂「落ちぶれた」光景を目の当たりにした時、
所謂「輝かしい日々」の光景に対しては、ある種の空虚さを感じえません。
そんなある種の空虚さとは、時間による変化、環境の変化、
世の中に変わらないものなどないということ、要するに「無常さ」に人は哀れを感じるのです。
ナツメグのほとりシナリオにおける主人公の姿・物語にはそんな無常さを感じずにはいられません。
その無常さは一夏の思い出を儚いものとするような、一夏の思い出を打ち消してしまうような、
ナツメグの世界全般を崩壊させてしまうような、そんな感覚に襲わせるのです。

ただ人生は儚く・無常であるからといって、
人生そのものまでもが悲しくなってしまうかというと、そうではありません。
人類はそう考えてきませんでした。それが言わば宗教・哲学の世界であるのでしょう。
ナツメグの世界で言えば、
その儚さ・無常さを感じさせるのが「由佳子の転校」という事実であり、
また、野島ほとりという存在であり、
それらを乗り越える方法が「部活」であり、
また、ほとりの懐古として表現されていたように思います。

別れが前提であるのにも関わらず、仲のいい馬鹿騒ぎをすることは、
現実逃避でしかないのか、それとも別の意味を持たせることができるのか?
当然、プレイヤーは別の意味を持たせたことをナツメグを通じて知っているはずです。

ではその「別の意味」とは何なのか?
新しい関係の構築(恋人関係)? それも無常ですから、違います。
それは部活を作った目的、「思い出作り」にあると言えるでしょう。
思い出は個人の中の想いですから、脚色されたり、歪曲されたり、消去されたりもしますが、
他の外的要因(関係の希薄化、環境の変化)によって直接的には変化しません。
そんな「不変の思い出」を胸に、辛い現実(別れ)を乗り越えていこうとするのが、
ナツメグのキャラクター達の姿です。

加えて重要なのが、「部活」という形にしたこと。
当初の主人公+由佳子+実梨+シゲオの4人に加えて、円+ほとり+セリスとしたことで、
「思い出の共有化」をすることに成功し、
より強固な思い出と仲間意識、言わば「絆」ができ上がったのです。

「絆」というと一緒にいた時間(幼馴染とか)が問題とされやすいのですが、
ナツメグでは時間の要素は必要ないと考えています(由佳子シナリオ参照のこと)。
3ヶ月という短い期間でも絆はできるよ(勿論、1日でも半日でも可能です)、
「思い出の共有化」をすることができれば、ということをナツメグは示していたと思います。

ならば、今度は「思い出の共有化」が具体的に何を指すかとなるわけですが、
これに関しては直接的には語られていません。
敢えて言うならば、主人公・由佳子・実梨・シゲオ達4人の中学時代の思い出でしょうか。
昔の思い出を語り合うことで、または思い返すことで、
今を再認識し、仲間であることの偶然・奇跡を感じる、想う、感謝する、
そうすることによって、より強固な仲間意識が生まれる・新しい関係を生む、
それが「思い出の共有化」であると私は考えます。

ストーリー展開からすれば、由佳子シナリオ直後の回想イベントはさほど意味をもちませんが、
シナリオテーマからすれば、非常に重要な意味を持っていたのかもしれません。


ここまでの話を整理しますと、ナツメグというのは、
由佳子との別れ(厳しい現実・無常さを感じさせる事柄)に直面した主人公達が、
仲間達による思い出作り(思い出の共有化)によってそれを乗り越えていく物語
と言えます。
仲間の関係は一旦終わりとなったとしても、
その思い出または恋人関係を抱いて生きていくというのがほとりシナリオ以外の流れでしょう。
いや、厳密には、思い出を抱いて生きていくであろう人物は由佳子シナリオ以外の由佳子であり、
それ以外の登場人物がどう考えているのかはその後のエピソードがないため、判別できません。
思い出というより、むしろ新しい関係によって乗り越えていったと考えるのが自然なのかもしれません。
つまり、思い出作りの意味(思い出の活用方法の面)を知ることができるのは、
その後のエピソードが語られるほとりシナリオのみということになります。

ほとりシナリオをプレイした人は分かるように、ここには新しい関係はありません。
あるのはほとりの喪失のみ、主人公の自己喪失による関係の希薄化のみです。
勿論、そういった観点から主人公を巡る仲間の崩壊を考えることもできますが、
ほとりシナリオがモノローグ主体であることから、思い出という面を中心に考えていくことにします。
ほとりシナリオのエピローグは大きく分けて2つに分けられるのはお分かりでしょう。
1つ目がエピローグ開始から由佳子が結婚するまで、
2つ目が電子レンジの卵爆発によるほとりの思い出回帰後から最後まで。

この前半・後半の2つの違いを考えると、
前半はほとりの思い出に縛られていたということができ、
後半はほとりの思い出を活かすことができていたと言うことができます。
前半は思い出が外から内に閉じこもる形となっていて、
後半は逆に思い出が内から外へ溢れ出る形となっています。

この後半の「内から外へ流れる思い出の流れ」が、
先ほど唐突に出てきた感のある「思い出の共有化」の意味でもあります。

前半部分の思い出に縛られるという意味を説明しますと、
ほとりとの思い出に固執するあまり、それしか見えなくなってしまうこと、
ほとりとの思い出を守るために、周囲を拒絶してしまい、
いつしかそれが絶対的なものとなって、自身の行動を束縛してしまうこと、

それらが思い出に縛られるという意味です。
例としては、ねこねこソフト『朱』におけるラッテが挙げられます。
 (これに関しては朱のネタバレ感想にて触れていますので、詳しくはそちらを参照してくださいませ)
言うなれば、後ろ向きな思い出です。あの頃は良かったね的な回顧のようなもの。
そこにあるのは過去だけであり、現在と未来は存在していません。
過去と現在が隔絶された思い出、過去が未来へ繋がっていかない思い出
だと言えます。。
まぁ、一般的に言う「思い出」と理解しても、そう間違いはないと思います。
ほとりシナリオにおける主人公は、記録・記憶からほとりが消えていくという特殊な状況ですが、
それは私達が思い出を忘れていってしまうこととそれほど変わりがありません。
ただ違いがあるのは、主人公は何かを忘れたということを漠然と覚えているのに対し、
私達は忘れたということも疑問に思わず忘れてしまう点でしょう。
 (だからこそ生きていける場合もあるのですが)
ですから、主人公はいつまでもほとりの思い出から脱却できない、
ほとりの不存在をいつまでも認めることができなかったように思います。
この前半で描かれている主人公の姿は二重の意味を持っていて、
一つはいつまでも思い出に固執する人間の姿(思い出に縛られる人間の姿)であり、
もう一つが大事な思い出を忘れていってしまう私達一人一人の姿なのです。
この文章を書く上で、一番最初に触れた「言いようのない空虚さ」というのは、
私達が思い出を活かせていないことに対する虚しさでもあり、
過去と現在とが隔絶していることに対して感じる人生の無常さなのかもしれません。

これに対して、後半の主人公は前向きに生きようとしています。
ほとりの記憶が戻ることによって、隔絶された現在と過去とが埋まり、
今現在に自分があることの理由・意味を感じ、
過去を懐かしみながらも未来に対して歩いていける、そんな人間へと変わっていきます。

思い出を活かすということは、
過去と現在を繋げることができ、それを未来に対して向けようとする態度を持つこと、
過去の思い出から現在における自分の位置を正しく導き出せること、
ではないでしょうか。
一番最初に書いた文章を例に取れば、
過去の「輝かしい日々」と現在の「落ちぶれた日々」とは隔絶しておらず、
同一人の人生なのですから2つは必ず繋がっているのであって、
現在においても過去の「輝かしい日々」の要素は存在しているはずであり、
過去と現在の自分は別人なのではなく、同じ自分であるはずなのです。
また、世の中は無常で、周囲の環境・評価・時代は変わりやすいものですから、
「輝かしい」「落ちぶれた」という形容詞はさほど意味を持ってはいません。
それらはある一時を断片的に取り出した時の形容詞であって、
ある時から見れば、「輝かしい」は「贅沢三昧な」「怠惰な」に思えるかもしれませんし、
ある時から見れば、「落ちぶれた」は「次のステージのための忍耐の期間」に思えるかもしれません。
過去を「輝かしい日々」と現在を「落ちぶれた日々」といったように認識しないこと、
つまりは自分・周囲の評価そのものを取り去り、
ただ現在の自分を認識して未来へ歩んでいこうとする態度、
それが思い出を活かすことではないでしょうか。
思い出にあるのは「日々」のみ、確実にあるのは「日々」だけです。
そんな「日々」の流れを感じ取ること、
思い出の積み重ねを流れとして感じること、
それによって過去と現在の繋がりを感じ取り、自分の現在の位置を確認し、
それを今度は未来に向けて流していける… それが思い出を活かすこと
だと思います。
思い出とは現在を知ること、現在の自分を感じ取ることです。

もちろん、思い出が定着し、記憶となって、それが経験へと変わること、
経験から自分・他人をよりよく理解し、優しくなれこと、それも思い出を活かすこと
だと言えます。
ほとりシナリオエピローグ後半において主人公がプリントを拾うシーンは、
自分とほとりとの経験から、誰かのために優しくなれていることを象徴しているように思えます。

ここまでがほとりシナリオエピローグ後半に描かれていることです。
さらに自分なりに補完すれば、ここに「思い出の共有化」が加わります。
思い出を活かすことは、現在を知り、未来へ繋げることだと説明しましたが、
「思い出の共有化」というのはそのうちの未来へ繋げていく作業を指します。
ほとりシナリオで言うならば、文章だけで僅かに触れられている部活仲間の再結集、
そしてほとりとの再会がそれに当たるように思います。
思い出の共有化は、自分の中の現在位置の確認だけでなく、
共有者との過去・現在における自分との位置関係を確認することができます。
自分の中の位置関係がX軸とするなら、Y軸が他人との位置関係となり、
それを測ることができるのが、思い出の共有化作業とも言えるものです。
これによって思い出は完全な形で活かされることになることでしょう。


抽象的な話が多く、話が分かり辛くなっているとは思いますが…ご容赦を(^^;
ここまでの話の流れをまとめますと、
「思い出」とは、過去に浸ることではなく、
過去と現在を繋げて、現在を再認識することで、未来へその想いを繋げていくこと
であり、
「思い出作り」とは、現在の一時だけを楽しむことではなく、
未来へとその想いを繋いでいくこと
であり、
互いに思い出を交換することや再確認することによる「思い出の共有化」によって、
自分と他人の現在位置を再確認し、共通認識(仲間意識等)を新たにして、
変わらない人々の想いを感じ取り、または少し変わった人々の想いを愉しむことにより、
変わってゆく現実(無常)に対応していくこと
、それが思い出の効用であると考えます。
つまりは、世の中の無常さえも味わうことのできる心、広い視野で変化を楽しむ心、
それこそが思い出を活かすことのできる心
なのでしょう。


長ったらしくなりましたが、以上が私自身がナツメグをプレイして感じ取った事柄です。
これらを逆にナツメグに当てはめて解釈しますと…
ナツメグというゲーム自体が関係の破綻を前提とした中での壮大な「思い出」作りであり、
夏祭りのように終わりがあるからこそ輝かしく美しい「非日常」がそこにある。
けれどただ漠然と「思い出」を作るのではなく、
大事なのは、「思い出」に何を込め、そして今後の人生でどう「思い出」を活かすか、である。
それを指し示すのが仲間関係を変化させた各シナリオの「恋人関係」であり、
ほとりシナリオにおけるエピローグであると言える。
「恋人関係」の面では、主人公達は楽しい「思い出」と過去の「思い出による縛り」の中で、
色々と悩み、互いにぶつかり合い、
そして最後には仲間関係の破綻を恐れずに一歩を踏み込むことによって、
新しい夏の「思い出」をより輝かしく、美しく、強烈な印象を持つものにしている。
一方のほとりシナリオエピローグでは、
由佳子の結婚というナツメグのストーリー開始時点の設定を完全に破綻させることにより、
主人公を中心とする仲間関係の完全な破綻、
強いてはナツメグの世界そのものの破綻を描き、
「非日常」の脆さや人生の無常さといったものをプレイヤーに印象付けさせている。
また、ほとりの喪失によって現実を上手く生きれなくなった主人公の姿の中に、
大人になるにつれて・年齢を重ねるにつれて、「思い出」を忘れていく私達の悲しさ、
「思い出」を活かせなくなる私達の愚かさを感じさせてくれる。
そして、ほとりの思い出の回帰とともに立ち直っていく主人公の姿を描くことで、
「思い出」の重要さとともに、
「思い出」を活かす方法(世の中にある無常を乗り越えるヒント)を私達に教えてくれている。
夏の「思い出」を巡るストーリー、それが『ナツメグ』なのである。

…といった感じになります。


ただこれらのテーマ、「思い出」とは何かを語っていることを考えたとき、
『ナツメグ』はやはり不十分だったと言わざるを得ません。
各ヒロインシナリオの核となるはずであった過去の「思い出」が十分に描かれていないからです。
由佳子シナリオにおける主人公の過去(転入前)の姿や、由佳子の転入直後のトラウマ、
円シナリオにおける幼い頃の円と主人公の姿、再会した2人のエピソード、
セリスシナリオにおけるセリスの過去、父親・母親との関係、等々。
文章等で触れられているものもありますが、どれもあっさり気味で、
とてもシナリオテーマの核心部分としては物足りないものがあります。
唯一描けていたと思われるのが実梨シナリオにおける由佳子と実梨の思い出(白い花)ですが、
こちらも過去の回想シーンがないので、物足りないと言えば物足りないのですが、、
シナリオにおける重要アイテムであることは確かですから、合格点ではあります。
 (アイテムという面ではセリスのノートもそうですね。
 ただし過去の思い出でなく、未来に対しての約束という意味になりますが)
ほとりシナリオのエピローグに関しても、よく挑戦したとは思いますが、
十分にプレイヤーに伝わる内容であったかには少々疑問が残ります。
もっと詳細に、じっくりと描いても良かったのではないでしょうか?
個別シナリオがボリューム不足だったことで、
シナリオテーマが掴み辛かった点は反省しなければならないように思います。

もう少し時間をかけて作っていれば、
ほとりシナリオのインパクトもあって良い作品に仕上がっていただろうに… 残念です。
そういった作り込みの甘さはシナリオだけでなく、
CGにおいてもキャラが別人に思えたりするなどの不安定さや、
オマケ要素がおまけH×2とスタッフルームだけだった点にも現れていて、
ねこねこソフト時代に感じられた妥協のない姿勢が感じ取れませんでした。
コットンソフトとなっての第一作目ということで納期を優先したことや、
二作目の『レコンキスタ』と同時進行であったことが、
作り込みの甘かった理由なのでしょうけど…
やっぱりそれはねこねこソフトを知るユーザーとしては寂しいです。
発売日を延期してもいいから、妥協のない作品を作り上げてくれと、
作っている自分達が本当に愛せる作品を作ってくれと、そう思います。

コットンソフトは、野球に例えるなら、素質のある素材型ルーキーといった感じでしょうか。
あとは経験と情熱です!(^^;
2作目以降に大きく羽ばたけるよう、コットンソフトさんには頑張ってもらいたいです。




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