みずいろ感想ルーム

≪みずいろ総括ネタバレ感想≫

『みずいろ』は皆さんの目にどう映るんでしょうかね?
レビューの所でも述べましたが、白とも青とも言えない何色にも変わるのが「みずいろ」です。
でもそれでいて独自の色を持つのが「みずいろ」。
どんな気持ちで空を眺めるのか…
楽しい気持ち、悲しい気持ち、にぎやかな気持ち、寂しい気持ち、のんびりした気持ち…
そんな見る人の心によって違った思いを与えてくれるのが空の「みずいろ」です。
それと同じでプレイヤーの気持ちによって違った思いを与えてくれるのがこの『みずいろ』だと私は思います。

ですから、このゲームに関しては、どんな感想を持ってもいいと思ってます。
ここで自分の意見を押し付けるのも違うと思うし、誰の意見が正しいとかそんなこともなくて、
製作者の意図をプレイヤーが汲むことも正しいわけでもなく、
プレイした人が思ったもの、それが『みずいろ』の答えなんでしょう。

そう考えると童話や幼い頃見た物語みたいな感じですね。随分とマニアックな童話ですが(笑)
ま、そういう広い気持ちでプレイできるゲームというのはいいものですなぁ。
音楽も素晴らしいし、多くの魅力を持ったゲームだと私は思いますね〜
否定することなく、おおらかな気持ちで受け止めることが、
『みずいろ』を感じることのできるコツなのかもしれませんね(*^^*)




そんなわけで、あまり多くのことを語っても意味ないので、
私が思うみずいろのテーマ的要素を概説して終わりにしようと思います。
ポイントは「孤独」「信じたかったこと」「嘘」です。
それらを表にまとめるとこうなります↓


孤独(悲しみ) 信じたかったこと(信頼) 嘘(偽りの象徴)
雪希 妹以上になれないこと 健二の隣にずっと居られること 指輪
日和 チョコを渡せなかった後悔 自分の存在と遂げたかった想い バレンタインのチョコ
新日和 居候という不安定な状況 健二の「妹」となら側に居られること 「お兄ちゃん」と呼ぶこと
清香 母親が去って独りになること 実母が帰ってきてくれること
義母が側にいてくれること
砂絵(お母さんの絵)
進藤 姉への羨み 健二が自分を見てくれていること 赤いリボン
麻美 ずっと独りだったこと
みーちゃんとの別れ
みーちゃんは側にいてくれていること 日記(みーちゃんとの空想)
冬佳 出ていった父親への想い 父親が帰ってきてくれること 紺色の傘

つまり「孤独」=「信頼」=「嘘」と3つは共通してるわけです。
さらにストーリーにおいて「嘘」となっているものこそが、ヒロインの心を開ける鍵となってるわけです。
その「嘘」を「物」に置きかえる事こそが、冬佳シナリオで主人公が言っているような、
「形のない不確かな人間の気持ちを込める」ということなんだと思います。
今回の冬佳シナリオというのは、そんな『みずいろ』で語られている要素の構造を語ったものだと私は思いました。



最後に「普通」であるとはどういうことなのかという問いについて私なりに考えたことを書いて終わりにします。
やっぱりこれは日和シナリオに注目するべきでしょう。

退屈で平凡で変わり映えのしない哀しいくらい普通と呼べる時、
そんなどうでもいい事が積み重なって、とても大切にしていた事を忘れてしまう頃、
いつまでも忘れたくない事も時と時間が流してしまった頃
 (日和シナリオ冒頭)

それと文章は忘れてしまいましたが、日和が入院しているシーンで悔いはないかと聞かれ、
「普通に生きていたことが悲しかった」、というような文章がありました。
こんな感じに「普通に生きる」ことは無為な感じで、退屈で平凡な感じに思え、
劇的なドラマというわけでも、何か特殊なスパイスが効いてるわけでもなく物足りなく、つまらなく感じるものです。

ですが、日和1シナリオクリア後のみずいろシナリオでは、
普通ってなんだと聞かれた日和が、「でも私は普通が好きだよ」、と答えています。
その真意とは何なのでしょうか? そしてその後に続く最後の文章、
別に大した夢も目標もない、ドラマのような出来事も何もない、
もしかしたら流されているだけの そんな毎日なのかもしれないけど…

この後に続く文章は何なのでしょうか?
その答えは進藤シナリオのエンディングの主人公のモノローグにあります。

何も変わらないようでいて、少しずつの変化が楽しめるような毎日
そんな小さな変化に気がつけることこそ、本当の幸せなんじゃないかって感じる


夢に向かってそれを掴むこと、目標を遂げること、人の上を目指し出世を望むこと、
自分の記録を破ろうと常に高みを目指すこと、新しいものを身につけようと取り組むこと…
…それらの中にも幸せはあるでしょう。
ただ、今ある「普通の生活」の中にも、私達が気づかない大切なものがあるんです。
愛しい人だったり、家族だったり、友達だったり、思い出だったり…
そんな人の営みの中で感じる思いだって「幸せ」なんでしょう。
それに気づけるか気づけないかが「幸せ」であるか否かの差異なんだと私は思います。

空はいつもあるから、その美しさに気づきません。
空のみずいろはいつもあり、人々に平等に与えられますが、その綺麗さを気に留めることはありません。
だけどもしそれに気づくことができたなら、その人はとても幸せなんでしょう。
その手にしているものを、確かに感じ、味わうことができるのですから。
それが忙しく、せわしく、特別に生きる中では得られないこと、「普通」で心にゆとりがあるから気づくものなのでしょう。
『みずいろ』はそんな当然のようで、気づきにくいメッセージが込められていたと私は思いましたね。
なんとなく仏教の「中道」に繋がる考えですね。



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